まず事実から:旗艦企業のIPO撤回
樹根互联(RootCloud)は、建設機械大手・三一重工の系譜を持ち、中国の工業インターネット・プラットフォーム「根云」を運営する企業です。工信部の「双跨平台(クロス業種・クロス地域プラットフォーム)」リストの常連であり、中国の工業インターネットを代表する存在として長く紹介されてきました。
その樹根互联が、2023年8月に科創板(上海証券取引所のハイテク企業向け市場)へのIPO申請を撤回しています。上場審査の過程で明らかになった財務内容は、3年半の累計赤字が17億元超というものでした。
この事実は日本語圏でほとんど報じられていません。日本のメディアが2019〜2021年に描いた「中国が工業インターネットで先行する」という構図が、その後の財務実績で更新されないまま残っています。
巨大テック企業も静かに退いた
アリババ・テンセントの両社は、2019年前後に工業インターネット・プラットフォーム事業へ本格参入しました。2025年の各社の事業総括を見ると、両社ともAIクラウドと大規模モデルへリソースを集中させており、工業インターネット・プラットフォーム事業は相対的に後景化しています。
これは失敗というより資源配分の転換です。生成AIの計算需要が爆発的に伸びるなかで、粗利が薄く、案件ごとに現場工数がかかる工業インターネット事業の優先順位が下がった、という説明が自然です。
一方で華為は別の道を選びました。FusionPlantを持ちながら、MESアプリ自体を主戦場にせず、クラウド+盘古(Pangu)大規模モデル+昇騰(Ascend)の算力+パートナーというレイヤー戦略をとっています。アプリの作り込みは赛意信息のようなパートナーに任せ、自社は基盤で稼ぐ構造です。海尔卡奥斯(COSMOPlat)も2026年に「工業世界モデル(工业世界模型)」を発表し、プラットフォームから工業AIネイティブへの転換を宣言しました。
プラットフォームという言葉は残っていますが、その中身は「産業アプリのマーケットプレイス」から「AIモデルと算力の供給基盤」へ入れ替わっています。
なぜプラットフォーム事業は儲からなかったのか
公開情報から読み取れる要因は3つです(要因の重み付けには推測を含みます)。
第一に、製造業のデータは業種ごとに意味が違いすぎます。鉄鋼の温度データと、電子実装のはんだ印刷データと、医薬のバッチ記録は、フォーマットを揃えても分析ロジックを共有できません。「あらゆる業種のデータを集める共通基盤」は、集めた後に価値を出す部分で必ず業種特化に戻ります。
第二に、プラットフォーム側にレバレッジが効きませんでした。IT分野のプラットフォームは、ユーザーが増えるほど提供コストが下がります。ところが工業インターネットでは、顧客が1社増えるたびに設備接続と現場調整の工数が発生します。スケールしない事業をスケールする事業の評価軸で運営したことが、赤字の構造的な原因です。
第三に、課金対象が曖昧でした。「工場のデータを可視化するプラットフォーム」は、顧客にとって支払いの根拠が説明しづらい商材です。歩留まりが何%改善したのか、在庫が何日減ったのかという成果に紐づかないと、翌年の予算が付きません。
勝っているのは、業種を絞った実務型MES/MOM
同じ中国市場で、財務的に成立しているのは共通基盤ではなく特定業種に垂直特化した実務型のMES/MOMです。
| 企業 | 垂直領域 | 成立の理由 |
|---|---|---|
| 宝信软件 | 鉄鋼・港湾・非鉄 | 親会社の工場で実運用した資産を同業へ外販。PLCまで内製 |
| 石化盈科 ProMACE | 石油化学・化学 | Sinopecグループ向け基盤を業界標準として外販 |
| 中控技术 | プロセス産業 | DCS首位の設置ベースを土台に上位アプリへ展開 |
| 黑湖科技 | 離散加工の中小工場 | クラウドMESをサブスクで販売。黒字化済み |
4社に共通するのは、「誰のどの業務を、どの数字で改善するか」が最初から決まっていることです。宝信は圧延ラインの歩留まり、中控は連続プラントの自主運転率、黑湖は中小工場の実績入力工数。プラットフォームが最後まで定義できなかった課金の根拠を、この4社は最初から持っていました。
なお、宝信软件の2025年通期が売上高−19.59%、純利益−42.4%だったように、業種垂直も需要業界の景気には勝てません。垂直特化は儲かる保証ではなく、儲かる可能性がある構造だという整理が正確です。
日本の「共通プラットフォーム構想」への含意
日本でも、業界団体や大手企業グループが「製造業共通のデータ基盤」を構想する動きが繰り返し現れます。中国の経験から引き出せる教訓は、否定ではなく設計順序の話です。
もう1つの含意は、日本の大手製造業の情報子会社が持つ資産の価値です。宝信(宝武鋼鉄グループ)と石化盈科(Sinopec)は、いずれも親会社の工場で実運用したシステムを同業他社へ外販して成長しました。日本にも同種の情報子会社は多数ありますが、系列内のSIに留まる例が大半です。ここには構造的な機会が残っていると考えられます(この評価は推測です)。中国MES市場の全体像は中国MESベンダー地図を、収益モデルの転換については中国MESは「請負」から「サブスク」へ移行したを参照してください。
よくある質問
中国の工業インターネットは失敗したということですか
プラットフォーム事業の収益化は難航しましたが、工業インターネット自体は政策的に推進が継続しています。中国政府は2028年までに「一定の影響力を持つ工業インターネットプラットフォーム450社超」「5万社以上の新型工業ネットワーク改造」という目標を掲げており、2025年時点で中核産業規模16兆元超、「5G+工業インターネット」プロジェクトは23,000件超と発表されています。政策目標の達成と、個社の事業採算は別問題という読み方が正確です。
Unified Namespace のようなデータ基盤の考え方も同じ罠にはまりますか
はまり得ます。分ける必要があるのは、「データ基盤の技術思想」と「データ基盤を売る事業モデル」です。前者は工場内のシステム間結合を疎にするうえで有効ですが、後者としては課金根拠が弱くなりがちです。自社で導入を検討する場合は、基盤導入によって短縮される具体的な作業と、その時間を先に見積もってください。
日本企業が中国のプラットフォームに参加する意味はありますか
納入先や地方政府から求められて接続するケースを除けば、自発的に参加する実務的な理由は限定的です。むしろ工場データを外部基盤へ送る設計は、中国のデータ越境規制と日本側の輸出管理の双方から点検が必要になります。接続の可否を技術部門だけで判断せず、法務を含めて検討してください。
