まず、この数字の出どころを確認する

「2026年までに、AI-readyなデータがないためにAIプロジェクトの60%が放棄される」──この一文は、AVEVA が2026年5月20日にミラノで開催した AVEVA World 2026 のプレスリリースで、Gartner の予測として引用されたものです。

引用の連鎖を正確に書くと、こうなります。

  1. Gartner が予測を発表(原典は有料レポート)
  2. AVEVA が自社イベントの発表資料でそれを引用
  3. 各国のメディアと当サイトを含む解説記事が、AVEVA のリリース経由で引用

そのうえで、この予測が指している問題自体は、実測データでも裏づけられています。Rockwell Automation が2026年7月28日に公開した調査「Scaling MES Across the Enterprise」(17カ国1,560名)では、収集したデータを効果的に活用できていると答えたのは43%にとどまりました。裏返せば57%が「データはあるが使えていない」と自認しています。

AI-readyなデータがないため放棄されるAIプロジェクトの割合(2026年までの予測)
60%
AVEVA World 2026で引用されたGartner予測(2026年5月20日)
収集データを効果的に活用できていると回答
43%
Rockwell調査(2026年7月28日公開/17カ国1,560名)
ERP・PLM・品質・OTと完全統合できている
23%
同調査

さらに、2026年3月23日公開の Gartner Market Guide for MES(著者:Jake Cunningham、Christian Hestermann)のキーメッセージとして Siemens が要約している内容には、「AIは導入障壁を下げうるが、レガシー刷新が先」という順序が明記されています。AI機能の比較より前に、データの状態を見るというのが2026年のアナリストの標準的な立場です。

「AI-ready」を4つの条件に分解する

「AI-readyなデータ」は、実務的には次の4条件を下から積み上げた状態を指します。上の条件は下が満たされていないと成立しません。

AI-readyなデータの4条件の積み上げ構造 ④ 文脈がある(Context) この測定値は、どの指図・品目・作業者・設備条件のもとで出たのか ③ 時刻が揃っている(Time) 設備・MES・ERPのタイムスタンプが同一基準・同一粒度である ② 意味が定義されている(Semantics) 「不良コード17」が全拠点で同じ事象を指す。用語集が存在する ① 取れている(Availability) 紙・口頭・個人PCのExcelではなく、システムに残っている AI-ready に近づく 多くの工場は①は満たしている。放棄されるプロジェクトの多くは②③④のどこかで止まる。
AI-readyなデータの4条件。下から順に積み上がり、どこか1段が欠けると上は成立しない。

このうち ②から④が、2025年4月発行の ISA-95 Part 1 改訂版が「メタデータと標準ベースのコンテキスト化によるデータ中心アプローチ」「共有オントロジーとセマンティックモデル」と表現している内容とほぼ一致します。 標準側が先に、AIのためのデータ要件を言語化していたと読むこともできます。

MESのデータが落ちる典型3パターン

実装の現場で②③④が崩れるのは、だいたい決まった場所です。

パターン1:不良コードが拠点ごとに別の意味を持っている

最も頻度が高い破綻です。A工場の「17=寸法不良」がB工場では「17=表面キズ」になっている。単一拠点なら問題は表面化せず、全社データを集めた瞬間に集計が意味を失います。不良コード体系の設計は、あとから変更するコストが突出して高い項目の代表です。

パターン2:タイムスタンプの基準が揃っていない

設備のPLCは装置内蔵時計、MESはアプリケーションサーバの時刻、ERPは別のNTPソース、作業者の実績入力は「作業終了後にまとめて入力した時刻」。この4つが揃っていないと、「異常発生の30秒前に何が起きていたか」という問いに機械的に答えられません。AIの推論以前に、教師データの前後関係が壊れます。

パターン3:センサ値に製造文脈が付いていない

温度・圧力・電流の時系列は取れている。しかし「そのとき流れていた製造指図番号・品目・ロット・作業者・金型」が紐づいていない。この状態のデータは異常検知には使えますが、「なぜ起きたか」の分析にも「どの条件で再現するか」の予測にも使えません。MESの本来の役割は、まさにこの紐づけを行うことです。

これら3つは、いずれもマスタ設計MESが持つべきデータの範囲の設計判断から派生しています。AIツールを追加しても解決しません。

自己診断:5つの質問

自社のMESデータがどの段階にあるかは、次の質問に対して「調べればわかる」ではなく「いま答えられる」かどうかで判定できます。

#質問答えられない場合に欠けている条件
1全拠点共通の不良コード定義書は、どこにあるか② 意味の定義
2設備・MES・ERPの時刻同期は、どのNTPサーバを基準にしているか③ 時刻
3昨日の14時32分に3号機で計測された温度は、どのロットのものか④ 文脈
4直近1年の実績データを、外部ツールが読める形式で出せるか。何日かかるか①〜④+可搬性
5同じ品目を2拠点で作っている場合、両拠点の実績を同じ列で並べられるか②+④

3番に即答できない工場は珍しくありません。センサデータと製造指図が別々のシステムに分かれて保存され、両者を突き合わせるSQLを誰かが手で書いている状態がよくあります。これは「データがない」のではなく「結合の仕組みがない」状態で、対処の難易度は大きく違います。

「AI-ready」は一度作れば終わりではない

もう一点、見落とされやすい論点があります。AI-readyなデータ基盤は、構築時点の状態を維持する仕組みがないと劣化します

  • 新製品が追加されるたびに、誰かが不良コードを増やす
  • 新拠点が立ち上がるたびに、その拠点固有のコード体系が生まれる
  • 設備を入れ替えるたびに、タグ名の付け方が変わる

これを防ぐには、コード体系の変更に承認プロセスを通す必要があります。マスタの追加・変更を現場が自由にできる運用のままでは、半年でデータの意味は分岐します。全社統合率が23%にとどまるという Rockwell 調査の数字は、統合の技術的難しさだけでなく、統合状態を維持するガバナンスの不在も含んでいると読むのが妥当です(ここは調査に内訳がないため推測です)。

よくある質問

「AI-readyなデータ」を整えるのに、どれくらいの期間がかかりますか?

対象範囲によりますが、実務でよく見るのは「1拠点・主要3ラインに限定して、不良コードと時刻同期と文脈キーを揃える」規模で3〜6か月です。全社・全拠点を一度に揃えようとすると、拠点間の調整だけで年単位になります。現実的なのは、AIで解きたい問いを1つ決め、その問いに答えるために必要なデータだけを先に整えるやり方です。「全データをAI-readyにする」というスコープの取り方は、ほぼ確実に途中で止まります。

既存のMESを入れ替えないと、AI-readyにはなりませんか?

必ずしもそうではありません。②意味の定義と④文脈の付与は、MESの外側(データ統合レイヤー)でも実現できます。実際、Unified Namespace や Industrial DataOps と呼ばれる製品群は、まさにこの層を担うものとして2024年以降に定着しました。一方で、③時刻の揃えと、そもそもの①データ取得は、MESと設備側の作りに依存するため、外側からは直せません。入れ替え判断の前に、4条件のどれが欠けているかを特定してください。欠けているのが②④なら、既存MESを残したまま対処できる可能性があります。

「60%が放棄される」という数字は、MES分野に限った話ですか?

いいえ。AVEVA が引用した Gartner 予測は AI プロジェクト全般に関するもので、製造業やMESに限定された数字ではありません。MES固有の数字として引用するのは誤用です。 MES領域で参照すべき実測値は、Rockwell 調査の「データを効果的に活用できている43%」「ERP・PLM・品質・OTと完全統合できている23%」のほうです。この2つは調査対象(17カ国1,560名の製造・産業オペレーション意思決定者)が明示されています。