何がいつまで延期されたのか
EU AI Act(AI規則)は2024年8月に発効済みで、禁止AIや汎用AI(GPAI)に関する義務は既に適用が始まっています。今回動いたのは高リスクAIの義務の適用期限です。2026年6月16日、欧州議会は技術標準とガイダンス整備の遅れを理由とする延期を含む改正を承認しました。
| 対象 | 従来期限 | 新期限 | 延期幅 |
|---|---|---|---|
| 単体の高リスクAI(Annex III:雇用、教育、重要インフラ等) | 2026年8月2日 | 2027年12月2日 | 16か月 |
| 製品・安全部品としての高リスクAI(Annex I:機械、医療機器、無線機器、玩具等) | 2027年8月2日 | 2028年8月2日 | 12か月 |
| AI生成コンテンツのウォーターマーク義務 | 2026年8月2日 | 2026年12月2日 | 4か月 |
改正の趣旨は一貫して「準備期間の追加」であり、AIシステムの棚卸しとガバナンス構築は継続すべきとされています。
MESに載るAIは、どちらのAnnexに落ちるのか
製造業で混乱しやすいのがここです。AI Actの高リスクには2系統あります。
Annex I系(製品規制との連動):EUの既存製品法制(機械規則、医療機器規則など)の対象製品にAIが安全部品として組み込まれ、第三者適合性評価を要する場合、そのAIは高リスクです。工作機械の安全機能に関わるAI制御、医療機器の製造装置に組み込まれるAI、協働ロボットの安全関連AIなどが典型です。MESと連動するAI外観検査が設備の安全機能や製品の適合性評価に関与する構成なら、この系統の検討対象になります。期限は2028年8月2日です。
Annex III系(用途ベース):製品と無関係に、用途で高リスクに指定される系統です。製造業では、重要インフラの安全部品としてのAIや、雇用・労働者管理に関わるAIが要注意です。MESのデータを使って作業者の割り当てやパフォーマンス評価を自動化するAIは、構成によってはここに該当しえます。期限は2027年12月2日で、Annex Iより早く来ます。
一方、KPIダッシュボードの自然言語照会、手順書検索の補助といった、安全・雇用に関わらないAI機能の多くは高リスクに該当しません。まず必要なのは「自社のMES環境にあるAI機能の棚卸しと該当性判定」であり、これは延期とは無関係に今やるべき作業です。
高リスクに該当すると何が要求されるか
高リスクAIの提供者(プロバイダ)には、リスクマネジメントシステム、学習・検証・テストデータのガバナンス、技術文書、ログの自動記録、人間による監督(human oversight)の設計、正確性・堅牢性・サイバーセキュリティの確保などが要求されます。導入企業(デプロイヤ)側にも、指示に従った使用、人間による監督の実施、ログの保存、労働者への通知などの義務があります。
MESの観点で重要なのは、これらの多くがMES側の統合設計に跳ね返ることです。AIの判定ログを誰がどこに何年残すのか、人間の監督(確認・オーバーライド)をワークフローのどこに置くのか、オーバーライドの記録を監査証跡にどう残すのか──AIエンジン単体では完結せず、AI外観検査のMES統合で扱う統合アーキテクチャの問題になります。
GMP企業は「二重規制」になる──Annex 22との関係
医薬品・医療機器メーカーのEU拠点では、AI Act(製品安全法制)と、EU GMP Annex 22ドラフト(製造品質法制)の両方がAIに要求を課す構図になります。両者は別の法体系ですが、要求内容は重なります──intended useの文書化、データガバナンス、人間の監督、ログ、継続的モニタリング。したがって実務では、共通要求を一つの管理体系(実装方法論としてはISPE GAMP AI Guide)で満たし、法域ごとの差分を上乗せする設計が効率的です。Annex 22側の要求はEU GMP Annex 22──MESに載るAIに何が要求されるか、方法論はGAMP 5第2版とISPE AI Guideの関係、規制全体の構図はFDAは緩め、EUは締めるを参照してください。
よくある質問
延期されたので、AI導入プロジェクトは急がなくてよいですか?
延期で得られたのは時間であって、義務の免除ではありません。むしろ延期理由が「技術標準(整合規格)の整備遅れ」である点に注意が必要です。整合規格が出揃うのは期限の直前になる可能性があり、規格公開から適合までの作業期間は圧縮されます。棚卸し・該当性判定・ベンダーとの責任分担の整理は前倒しし、規格待ちの部分だけを後ろに置くのが合理的な進め方です。
日本国内の工場にもEU AI Actは適用されますか?
AI Actは域外適用があり、EU市場に上市される製品・AIシステムや、EU域内で出力が使用されるAIには日本企業も対象になりえます。一方、日本国内工場の内部利用のみで、EUに製品もAI出力も出ていなければ、直接の適用は通常ありません。ただしEU向け製品を作る工場のAI外観検査が製品の適合性評価に関与する場合や、EU拠点と同一のMESテンプレートを使う場合は、グローバル標準としてAI Act水準に合わせる判断が現実的になります。
ベンダーが「AI Act対応済み」と言っています。信じてよいですか?
高リスクAIの義務は提供者と導入企業に分かれて課されるため、ベンダー側の対応だけで貴社の義務が消えることはありません。確認すべきは、①そのAI機能の該当性についてベンダーがどの整理(高リスクか否か、どのAnnexか)を取っているか、②プロバイダ義務のうちどこまでをベンダーが担い、ログ保存や人間監督などデプロイヤ義務に必要な機能をMES側にどう提供するか、③技術文書・適合性評価の証跡を顧客に開示できるか、の3点です。「対応済み」の一言ではなく、義務の分担表を出せるかで成熟度が分かります。
- EU approves delays and other amendments to certain EU AI Act obligations(Morgan Lewis、2026年6月)
- EU AI Act Update: Timeline Relief, Targeted Simplification, and New Prohibitions(Covington Inside Privacy)
- Drafts of EU GMP Guideline Annex 11, Annex 22 and Chapter 4 released for comment(ECA Academy、2025年7月7日)
